フェルガナ盆地は、3ヵ国(ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン)の国境線が複雑に入り組んでいる。

日本と同じように、隣国との間には領土や民族などの問題が直接的に絡むので、お互い仲良くすることは難しい。
特にウズベキスタンとキルギスは仲が悪いなんてレベルではなく、たびたび大規模な殺し合いが起きている。
フェルガナ地方での紛争の現状と、どうしてこうなったかの経緯が、昨日の産経新聞に分かりやすく取り上げられていた。
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【ソ連崩壊20年-解けない呪縛-】
第1部 民族と宗教の奔流(2)
「スターリンの境界線」なお
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110219/erp11021908010001-n1.htm
キルギス系とウズベク系の住民がオシで衝突したのは昨年6月。前大統領の亡命を機に双方が暴行や放火、殺人を繰り広げた。政府の調査委員会は少なくとも400人の死者を確認、市庁舎には行方不明者の消息を求める看板が立つ。
「キルギス系は信用できない」「今度、ウズベク系が歯向かってきたら国からたたき出す」。1月中旬に訪れたオシの人々は、互いへの憎悪を隠さなかった。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110219/erp11021908010001-n2.htm
オシ近郊ではソ連崩壊直前の1990年にもキルギス系とウズベク系が衝突、約300人が死亡した。オシ国立大歴史法学部のウライモフ教授(55)らによると、両者は60年代にも衝突したが、ソ連の情報統制で隠蔽(いんぺい)されたという。
度重なる民族衝突の根源を探ると、24年のソ連国内の境界画定に行き着く。共産党中央委員会は帝政ロシアの支配下にあったこの地域に「カラ・キルギス自治州」を設立、ウズベク系住民が多数を占めていたオシなど都市部を自治州に組み入れ、隣接するウズベク社会主義共和国と分離した。
ソ連の農業集団化政策でキルギス系の定住化も進んだが、都市部のめぼしい土地はすでにウズベク系の手中にあった。現代まで続く両民族の確執の原点だ。
自治州の境界線は91年のキルギス独立後も国境線として残った。ともにイスラム教を受容した遊牧民を祖としながら、イランの影響を受け商才にたけたウズベク系はバザールやレストランの支配権を握り、キルギス系をあごで使っている。